サイフレンサ

 非常にまずい。
 朝8時に京都駅で集合するためには6時に起きる必要があり、夏休み中の堕落しきった生活に慣れてしまった俺にとっては苦行だった。しかし今回はサークルの合宿だ、1回生という身分もあり遅刻するわけにはいかない。目覚まし時計を重ね掛けしてなんとか7時45分に京都駅にたどり着くことができた。そこまではよかったんだ、そこまでは。
 端的に言って、財布を忘れたのだ。やはり焦って家を出たのがまずかった。これではお土産はおろか飯を買うことすらできない。
 どうしよう、誰かに相談して借りようか、それとも一か八か無一文で過ごしてみようか、懊悩していると、ふと、目の前に悪魔がいることに気がついた。放置された財布という悪魔が。旅行カバンからはみ出たその悪魔は間違いなく同サークルの人間の物だが、トイレにでも行っているのか、とんと所有者の姿が見当たらない。京都駅の雑踏に紛れて今なら簡単にくすねることができるだろうし、所有者も無くしたとは思えど、まさか盗られたとまでは思うまい。
  さて、どうするか....

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 なんで私がこんな目に。
 京都駅に着くまでは間違いなく旅行カバンに入れてあったはずです。でもどこかで落としてしまったのでしょうか、そこにあるはずの財布が見当たらないのです。落とすとしたら京都駅前だろう、とあたりをつけるのは容易ですが、ここは既に岡山県の後楽園。時既に遅し、とはまさにこのことなのですね。楽しみにしていた後楽園の入場料すら払うことが出来ません。300円ほど誰かに借りるという手もありますが、それで乗り切れるのはこの場のみ。まだまだ始まったばかりの合宿をこの先無一文で過ごすのは無理があるだろうし、そのつど誰かに借りるというのやはり気が引けてしまいます。
 どうしようか苦悩していると、券売所前に悪魔が落ちていることに気がつきました。誰かが落としたのであろう、黒い財布です。幸か不幸か、私の動きを見ている人はいないようです。あの悪魔があれば、私はさぞかし楽しい合宿をすごせることでしょう。
  さて、どうしましょうか...


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 なんてこった。
 サークルの合宿で訪れた岡山後楽園、そこに隣接する岡山城で入場料を払おうとしたときに悲劇に見舞われた。お気に入りだった黒い財布が行方不明になっていたのだ。後楽園に入場する際には確かにそこにあったはず、なにせ後楽園の入場料は払えたのだから。ということは後楽園の中で落としたと考えるのが1番自然だが、後楽園はいわば和式迷路だ。ここの中から財布を探し出すのは相当骨が折れるだろう。ひとまず事情を話して城の入場料は先輩に立て替えてもらうことができたが、根本的な解決にはなっていない。これからの旅程を無一文で過ごすことに不安を抱きながら、岡山城天守閣に登ると、先に登頂していた友達が声をかけてきた。
 「トイレに行ってくるから、その間カバンを預かっておいてくれ」
 正直他人に気を遣ってる場合ではないが、面目を保つためにも素直に預かってやることにした。そこに、預かったカバンの中に悪魔がいたのだ。この悪魔を拝借するとさすがにばれてしまうだろうか。いや、濡れ衣だ、きっとどこかで落としたんだろうと主張すればきっと乗り越えられる。しかし今後の友情に大きな溝ができてしまうことは確実だろう。
  さて、悩みどころだ....


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「ありがとうございました」
「あざーす」
「ありがとーございましたー」
 サークルの面々が今日1日の行程を終え、旅館まで運んでくれた運転手さんにお礼を告げながら下車してゆく中、僕だけが無言でバスを降りた。運転手への感謝の気持ちがないわけではないが、今の僕はそんな元気よく挨拶するほどの余裕がないのだ。なにせ、岡山城から出発したあたりから財布が見当たらないのだから。
 正直、心当たりはある。天守閣で1度友達にカバンごと財布を預けたのだが、どうもその後から財布を見ていない気がするのだ。でも「お前が盗ったのか」なんて問い詰めてしまうと、もし奴が無実だった場合、友情に修正しがたい傷がついてしまうだろう。それにただ単に落としただけということも十分に考えられる。
 それに、岡山城内に散りばめられていた資料から得た知見がある。それは、たくさんの小さな原因が集まり、たくさんの思惑が集まって関ヶ原の合戦という大きな戦いとなり、その結果岡山城主の宇喜多秀家が戦死するにいたったように、一見小さなことでもそれが繋がって、いろんなひとに影響を及ぼし、繋がっていくということだ。
 今、僕が財布を失っていることも、なにかしら僕のあずかり知らぬ原因から繋がってきた連鎖の帰結なのかもしれないし、だとすれば僕が財布を失ったことで幸せになった人がいるのかもしれない。そう考えれば財布を失ったことへの怒りも少しはマシにもなる。今回は運が悪かったと割り切って、友達に少しお金を貸してもらうことにしよう。あいつはいいやつだ、きっと快く貸してくれるだろう。

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 あるニュースが世間を騒がせた。とあるバス会社の運転手が、乗っていた大学生約20名をバスごと崖から落とし、死亡させたのだ。自分だけは脱出し無事だった運転手、つまり容疑者は取材に対し次のように述べた。

「なぜ、こんなことをしたのですか」
「俺に礼を言わなかったやつがいたからだ」



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