深夜に出会ったもの
林 龍比呂

白雲閣の一階、自動販売機前で一人の少女に出会った。
浴衣を着た、17ほどの少女は、不思議なことに自動販売機ではなく、こちらを向いている。
まるで、ぼくを待っていたみたいだ、というのはさすがに自意識過剰か。
「ど、どうも」
「どうも」
僕の女慣れしていない不細工な挨拶と比べて、彼女の挨拶は明瞭だった。
しかしこれで僕は人としての大切な義務、挨拶を達成したのだ。これ以上彼女と関わる必要はない。
僕は小さく会釈をした後、彼女の横を通り過ぎ、自販機に百円玉を入れた。
いくつかの商品の下のボタンが青白く発光する。
「ねえ」
と、彼女が声をかけた。
「は、はい。なんでしょう」
僕は慌てて返事をした。
何か失礼があっただろうか。あるいは、道を聞かれるのか?
「あなた、尾道行きたい?」
「はい?」
え? なにこの女? なんで僕らが明日、尾道に行くことを知ってるんだ?
僕は訝しげに彼女を見た。
何者だ、この女。
ふふふ、と女は笑った。
「平和公園行きたい?宮島行きたい?神社に、お寺に、博物館に、美術館に、お土産屋に行きたい?」
ぞぞぞ、と背中に冷たいものが流れた。
「君は、何者なんだ……?」
女は、妖しく笑った。
「私は災害。私は人類の敵」
一拍置いて、女は続ける。
「私は台風」
台風13号、と女は名乗った。


台風13号。その名は僕も知っていた。
知りすぎていたくらいだ。
僕が2日前に旅行会社の松山さんと何度も電話をすることになったのも。
ウサギの島から岡山のこの白雲閣に急遽ホテルを変更したのも。
全ては、台風13号が原因だった。
目の前の彼女は、どう見ても人にしか見えない、しかしどことなく人外の妖艶さを漂わせている。
ねえ、と13号は口を開いた。
「私が、私たちが日本にどうして上陸するか知ってる?」
台風13号を名乗る女はそう言った。
僕は答えることができない。
突然の非日常に、頭がついていかない。
女は笑みを浮かべたまま、顔を近づけた。
「それはね、貴方たちが望んでいるから」
13号は唄うように、そう言った。
それは違う、と僕は否定しようとした。
災害は、危ないものだ。
それを望んでいるものなんていない。
けど、僕が反論する前に彼女は言った。
「台風が近づいてくるとさ、わくわくしなかった?  子供のころとか、どんなことになるんだろうって」
そんなことはない、とは言えなかった。
13号の話は続く。
「学校が休校になるかもって思わなかった? 非日常に憧れなかった? テレビの向こうの惨劇を見て、映画を見ているような気にならなかった?」
……強く否定できない。でも、だからと言って肯定するわけにはいかない。
僕は強く否定した。しようとした。
けれど、やっぱり僕が何かを言う前に13号は言葉を重ねた。
「たとえあなたがそうではないとしても、そういう人はいるわ。たくさんいる」
ひどい話よねぇ、と13号は嗤った。
「毎年台風で何人も死んでるのに。たくさんの方が悲しんでるのに。でもそれ以上に台風が来ることを楽しみにしている人間もいるのよ」
13号の目が細くなり、口から吐息を漏らす。
「貴方はどうなの? 私のことをどう思ってる?」
そんなの、決まっている。今の僕は台風のせいで予定が大幅に狂い、対応に追われたのだ。そのせいで、様々なことに不備が生じている。
「お前のせいで」
と、僕は口を開いた。
「お前のせいで僕はどんだけ苦労したと思ってるんだ。お前なんか大嫌いだ」
13号の表情は変わらない。
「何言ってるの。貴方は台風にずいぶんと助けられているじゃない。ねえ、貴方。私のせいで大変だと言ったわね。じゃあもし、私が来なかったら、貴方な何の失敗もしなかったの?」
う、と僕は呻いた。
「私が来たおかげで、貴方は多少の失敗を甘く見られてる所があるのは否定できないでしょうに」
悔しいが、それは確かに事実だった。恥ずかしい話、僕の旅行プランには色々な不備があった。その失敗の原因を僕の準備不足ではなく、台風のせいにすり替えたことは今日1日何度かあった。

はー、と僕はため息をついた。
どうも相性が悪い。
女性と喋ることに慣れていないこともあるが、13号の性格はうちの部にはいないタイプだ。
経験値が足りない。
僕は目の前の小さな災害にどう対応するべきなのだろうか。
……やはり、ここは日本人らしさを意識しよう。
倒すのではなく、お願いする。
「あの、すいません。さっきまでの失礼な態度は謝ります。13号さんは明日宮島に上陸しないで欲しいです」
「へえ? それはつまり、あれよね。自分が台風にあうのが嫌だから、他の、何の罪もない人々に代わりに犠牲になって欲しい。そういうことだよね」
嫌な言い方だ。本当にムカつく。だが僕は素直に、はいと言った。
「実は僕、宮島ですることがあるんです」
「そのためには私が邪魔だと?」
「はい」
「へえ。何をするの?」
すぅと、僕は息を吸う。
「愛の告白です」


「それでどうなったんだ?」
宮島で牡蠣カレーパンを食べながら、大吾はそう聞いてきた。
「どうって?」
と、僕も聞き返す。
「その13号とかいう電波ちゃんだよ。それで終わりってわけじゃないんだろ」
もちろんさ、と言って僕は空を見上げた。
雲ひとつない晴天。
心配されていた台風は影も形も消えていた。
九州に上陸していた13号は、その後、ありえない角度に曲がり、四国に上陸した。
13号は、僕の願いを聞いてくれた。


「愛の告白?」
13号は、出会って初めてきょとんとした顔をした。笑った顔も美人だが、この顔も中々可愛かった。
「え、宮島で誰か運命の人的なものと待ち合わせでもしてるの? それとも比喩表現?」
「いえ、言葉の通り愛の告白です。相手は同じクラブの同級生です」
一瞬、13号は硬直した。
その後顔はみるみる赤くなり、目は大きく開かれた。
「ちょっとまってちょっとまってちょっとまって。貴方それ本当?貴方ってそういう人なの?」
「何か問題があるんですか?青春としても普通だと思いますが」
いや、だって……と13号は続ける。
「貴方の所属しているクラブって、男子剣道部じゃない」


「とまあこういうわけでね。最初は驚いてた13号さんも、途中からは元気にアドバイスをくれたりしてね、円満に分かれることができた」
まあ台風だって女の子だ。こういう話は好きなんだろう。
「ちょっと待て。まさかお前の好きな人って……やめろ! 触るな! 俺はノンケだ!」
「僕もなれない合宿係で疲れてるんだ。癒してくれよ。あいらぶゆーだぜ、大吾。さあ、一線を越えよう」
「はーなーせー!」


その頃、四国を観光していた立命PENクラブは台風13号の直撃をくらい、全滅した。

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